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世界最大のカーニバル近づく! [ブラジル雑学]

今年もCarnaval ― カーニバルが近づいてきました。
って、ブラジルでは正月過ぎたらカーニバルのことしか言わないんですよね。
ということで、今回はカーニバルについての話題です。
まずは、カーニバルの歴史から。


カーニバルの歴史

 カーニバルの起源(ルーツ)は、春の儀式を行なっていた古代ローマ人とギリシア人に遡ります。 一説によれば、カーニバルの語源は“carnem levare=肉を絶つ”であり、それが時代を経て11世紀から12世紀に“carne vale=肉よさらば”と変わり、四旬節(ブラジルではクヮレズマ=Quaresmaと呼ばれる)、つまり肉食が禁じられた時期に入ったことを示す言葉となったようです。
興味深いのは、中世においてカトリック教会は全ての異教徒を抑圧しようとしましたが、この儀式のためにうまくいかなかったそうです。 それ故、神への感謝の行事として、カトリック教はカーニバルの儀式を教会暦に取り入れるようになりました。 カトリック教会が異端の宗教のスタイルとか祝日を取り入れるということは別段目新しいものではなく、外国の風景をみればイスラム教風のドーム式屋根をもつカトリック教会が見えますし、クリスマスも異教の祭日にキリストの生誕日を合わせたことは周知の事実です。
カトリック教会は、カーニバルを暦に導入するにあたって、厳しい断食、または肉食が禁じられる「四旬節」の期間を迎える前に”代償的”に楽しめるイベントを大衆にあたえようと考えて導入したそうです。


ポルトガル王家一族はナポレオンの侵略から逃れ、1808年に植民地であったブラジルに移った

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リオデジャネイロに到着したポルトガル王家の人々

王家のリオ着2.jpg


ヨーロッパの国々、特にフランス、スペイン、ポルトガルは、パーティを催したり、仮装をしたり、通りで踊ったりしてこの儀式を祝いました。 これらの国々は植民地大国であったので、この伝統は「新世界」へともたらされていきました。
ブラジルの場合は幾分異なり、ブラジルを発見し植民地化したポルトガル人自身がお祭り騒ぎを好んでいたこともあり、彼らは「エントゥルード(Entrudo)」というお祭をブラジルにもたらしました。 とくに黒人奴隷たちは顔に小麦粉を塗りつけ、農園主から古いかつらやボロボロになったシャツを借りて、水や小麦粉やおしろいなどをお互いの顔めがけて投げあい三日間ドンチャン騒ぎに興じたのです。 農園主の多くは、この間、奴隷たちが自由に行動することを許し、祭を楽しむことを認めたのです。それは、一年に一度、日ごろのフラストレーションを晴らす機会をあたえ、それでもって奴隷が重労働で働かせられる農園から逃げだすことを食い止める手段になったからだそうです。
一説では、ブラジルでカーニバルらしいものが始まったのは、1808年にポルトガル王家がナポレオンから逃れてブラジルに到着した時、ブラジルに住んでいたポルトガル人たちが仮面をかぶり派手な衣装をつけ音楽を鳴らして町中を練り歩き歓迎したことが始まりだとする説もあります。
カーニバルに山車が登場するのは1786年にドン・ジョン王の結婚を祝って作られたのが始まりだといわれています。
しかし、19世紀前半までのカーニバルは、ブラジルのあちらこちらの町の通りで、「灰色の水曜日」(カーニバル後の水曜日でこの日から四旬節が始まる)までの3日間、かつらや仮面をつけて、悪臭を放つ水をかけたり、小麦粉やタピオカ粉をお互いに投げつけあったりあったりする、騒がしくてかなり汚い、あまり趣味がいいとは言えない祭りでした。 ひどい時は放火までもが余興のひとつとして行なわれたといいます[たらーっ(汗)]   



顔に小麦粉やタピオカ粉をぬってカーニバルを楽しむ黒人奴隷たち(ジャン・B・デブレ作)

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一方、白人たちは、家の中でオレンジ玉― 小さなオレンジの形をした蝋作りの玉の中に香水混じりの水をつめたもので、当たると割れる― を投げあったり、または窓から通行人の頭に降水混じりの水をかけたりして遊びました。そのため金持ちたちは水や粉をかけられる街や通りを歩くのをさけて、ポルトガル王国などで半ば伝統のようになっていた仮面舞踏会などを邸宅で開いていました。
ちなみに、当時、カーニバルで演奏されていた曲はワルツ、ポルカ、マシェシェ、マズルカなどの曲でした。

1840年台になるとカーニバルは一変します。 リオ・デ・ジャネイロの『イタリア・ホテル』の持主の夫人が、友人、知人、顧客などを招待するとともに、演奏家たちを雇い、飾りリボンや紙ふぶきを持ち込んで、豪華な仮装舞踏会をホテルの大広間で開催したのです。 これはたちまちブームとなり、中流階級もこぞって同じようなスタイルの室内カーニバルとでも言えるものを劇場やホテルの大広間で開き始め、数年後には仮装舞踏会が上流階級のカーニバルの主流となりました。
一方、新聞を主とするマスコミは、下流階層が参加するカーニバルが、昔のローマやベニスのように、街の中で仮装をつけ、コンフェッテ=confete(紙吹雪)をかけあう、エレガントなカーニバルの復活キャンペーンを始めました。この新聞社のキャンペーンは成功し、それまでの乱痴気騒ぎ的なエントゥルード(Entrudo)は自然消滅していき、街の中の通りで誰もが楽しく遊べる大衆のお祭りとなり、現在のカーニバルの原型となりました。


この話しの続きは下記アドレスで見れます[わーい(嬉しい顔)]


世界最大のカーニバル その②を見る




あしあと(12)  コメント(6) 

あしあと 12

コメント 6

y-tanaka

おはようございます。
夏になると日本でもカーニバル見ますよ。

写真が見えません、こちらの不具合かも?
by y-tanaka (2010-01-22 05:11) 

Loby

y-tanakaさん、ゴメンなさい>< 直しました。
日本で夏になると見る?浅草カーニバルのことですかぁ?
by Loby (2010-01-22 10:51) 

青い鳥

カーニバルにそんな歴史があるとは・・・教えて下さって有難うございます。
続きも楽しみにしています。
松山でも夏祭りイベントとして、サンバのコンテストがあります。
相当盛り上がります。
by 青い鳥 (2010-01-22 20:35) 

Loby

≫青い鳥さん、リオやサンパウロのカーニバルパレードが大きく報道されますが、カーニバルは今も昔も、一年に一度、庶民が街の通りで心から楽しむお祭りです^^
by Loby (2010-01-23 02:17) 

Loby

≫sorasoraさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。


≫xml_xlsさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。


by Loby (2010-01-23 02:18) 

me-co

ブラジルにもあるんですか?
「無礼講」って言葉??
by me-co (2010-01-23 18:28) 

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